Tomoyuki Sugahara
菅原 知之
医療法人CLSすがはら / 一般社団法人OMUTA BRIDGE
経 緯
私の地元である大牟田市における挑戦は、実家からの一つの連絡、家業である病院の経営が困難に直面していることから始まりました。大学生だった私は、この危機を乗り越えるために経営に飛び込み、小さな病院を立て直すことから始めました。離職が止まらず、ほとんどのスタッフが病院から去ってしまい、長い歴史だけが残った病院で、私はそれでもスタッフ一人一人と対話をし続けました。私自身に答えがあるわけでもなく、目の前の人が感じていること、考えていることに向き合い続け、徐々にそこからみんなの気持ちや目指すところを共有しながら組織は前に進み始めました。
成長と発展
平成24年の法人化を皮切りに、私たちは病院の新築移転、介護事業、障害福祉事業、そして保育事業へと事業を拡大しました。これらの取り組みは、社会に対して私たちに何ができるかという問いから生まれました。背景にあった自身の想いは、炭鉱の病院として生まれた菅原病院は、炭鉱の閉山と共にその役割を失っていたことです。社会の変化に適応できなければ、事業は衰退していくものです。誰かの真似や既存の成功例を追うのではなく、社会に存在する課題を解決することが私たちの使命であり、これがビジネスチャンスにもつながると信じています。
縦割りを超える
大牟田市の子どもたちが夢や希望を育むことができる社会を目指し、一般社団法人OMUTA BRIDGEを立ち上げました。また、自治体だけでなく、内外の様々な人々と共に大牟田を創り上げるための新たな地域自治を模索する一般社団法人大牟田未来共創センターも設立しました。
私が大切にしている「縦割りを超える」というライフテーマは、全ての法人活動を貫いています。様々な人たちと手を携え、対話を重ねながら、共に目指せるビジョンを創り上げることが、地域社会の持続可能な発展には不可欠です。大牟田の街においても、対話を基盤とし、それぞれの想いが尊重され、可能性が最大限に発揮される街を目指して取り組んでいきたいと考えています。