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  • 菅原知之の感じるままに

【対談】答えは自分の中にある ~ デザイナーとの対話から見えてきたもの ~(ゲスト 下川まさのり・鶴岡章吾 1/4)

FMたんと「菅原知之の感じるままに」7月31日放送分

ゲスト:下川まさのり・鶴岡章吾(グラフィックデザイナー)1/4

グラフィックデザイナー 下川まさのり氏と、鶴岡章吾氏との対談1週目



今回もゲストをお迎えして4週連続の対談。


ゲストは、いっしょにプロジェクトをやってきたグラフィックデザイナーの下川まさのり氏(以下 下川)と鶴岡章吾氏(以下 鶴岡)の二人。


二人とは仕事で深い根源的な次元でのやり取りをする間でもあり、良き相談相手でもある。


今回は菅原が思い悩む「伝わらない」を、デザイナーのおふたりがコミュニケーションを通じ言語化していきます。


二人から見た私たちがどう映っているのか。 2人の言葉で「菅原知之」「医療法人CLSすがはら」を説明していただきました。


二人との対話で見えたものとは。


答えは菅原の中にある。


 

最初は話し相手として

菅 原 出会ってから、数年経ちますが、出てもらおうと思ったきっかけは、下川氏にはラジオに出てもらって、そのときからの印象として「デザイナーだけど哲学者」みたいに感じた。


いろいろと「考える人」なんだなーと思いました。


下 川 (笑)


菅 原 その当時悩んでいたことが、私は個人でも法人でもいろんなことに取り組んできましたが、いろんなことをやっていて「わからない」とか「わかりにくい」とか「伝わらない」ということにずっと悩んでいた。


ぼくの考えていることや思いとか聴いてくれる人誰かなーって思ったときに「下川さん」だと思った。下川さんに聴いてもらおうと思って、「なんか困ってます、どうにかなりませんか」というような相談をした。


下 川 最初はぼくも話し相手になっただけでした。コミュニケーション取っていくうちに課題があらわになって、そこから具体的な話になっていった。



菅原とのやりとりは大変

下 川 菅原さんは頭がいいからついていくのが大変なんですよ。普段使わないような脳の部分を使っていて、フル回転。一個一個細かくて枝葉のようにわーっと広がっていくのを、なんとかホワイトボードにまとめてもらっているのを見て、なんとか理解をしていく、共有していくという、そんな感じです。


菅 原 ぼくはやりとりをさせてもらっているのはすごく楽しくて、ぼくが言語化できていないこととか、整理できていないこととかを「こういうことですよね」みたいに言ってもらって、やりとりできるのですごくなるほどなーってなります。


「コーポレートアイデンティティ (C I)」をお二人とつくるみたいなところが入り口だったかなと思います。


下 川 最初は悩みがわーっとあったときに視覚化とか言語化したりアウトプットするためにCIというのが使えるんじゃないかって言って話を進めました。だからCIは手段です。


菅 原 何ヶ月かけたかな、半年じゃきかないですね。だいぶ、あーでもないこうでもないという話をさせてもらいました。


下 川 菅原さんひとりで決められるものではなく、法人全体のことなので時間が必要でした。菅原さんの頭にあること、そもそも菅原病院がどういう発端で、これまでどのような考えでやって来られたのか、そこまでひっくるめて考える必要があったので。


それを聴いた上で、「こういうことですか」「こういうことですか」「こういうことですね」ってそぎ落としていく。そして最後にじゃあこれが理念として成立しますよねって。



答えは菅原さんの中にある



菅 原 やりとりをさせてもらっている中で、鶴岡さんからも「気づかされる」みたいなことが多くて、「こうですよね」みたいなことを言ってもらった気がして、鶴岡さんからはどう見えていますか?


鶴 岡 一番初めにパンフレットの製作をさせてもらって、そこから各セクションの概要も知ることができて、こういうサービスがあるということをおおまかに把握した上で、踏み入った話をさせていただいた。


職業的に、私は形にしていくような言葉にしていくようなことが仕事になる。基本的には菅原さんが言ったことをぼくなりに解釈して言葉にしていく、そして伝えていくようなことをやっている。


基本的には答えは菅原さんの中にあるので、そこの循環というか、一回私を通していただいて、それをもう一度整理していただき、把握していただく。


そういう作業をずっとやってきた。


印象に残っているのは、秋祭りをやっていることについての思い出であったり、今度どういう方向にいきたいとかいう未来を見据えた話だったりとか。


現状自分たちが持っているものでもこういう考えの元やっているという話を聴いたりしていっているので、ぼくの中でこれが答えということではない。


一つのフィルターという道具としてぼくを使っていただいて、それに納得してもらうというのはごく自然なこと。


だから自分の口から出たものを耳から聴いて納得されているようなものです。

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