FMたんと「菅原知之の感じるままに」8月14日放送分
ゲスト:下川まさのり・鶴岡章吾(グラフィックデザイナー)3/4
グラフィックデザイナー 下川まさのり氏と、鶴岡章吾氏との対談3週目
今回もゲストをお迎えして4週連続の対談。
ゲストは、いっしょにプロジェクトをやってきたグラフィックデザイナーの下川まさのり氏(以下 下川)と鶴岡章吾氏(以下 鶴岡)の二人。
二人とは仕事で深い根源的な次元でのやり取りをする間でもあり、良き相談相手でもある。
対談1回目→ https://youtu.be/dpTcLdocO3o
これまで2人の言葉で「菅原知之」「医療法人CLSすがはら」がどのようにみえるのか解説をしていただきました。
今回は法人理念「ひと・まち・あしたの創造」 がどのようにつくられたのか、そして、その先にある新しいプロジェクトについての思いが語られます。
病院はまちの中の一つの機能だ。ひとのつながりと暮らしから始まる医療法人の事業デザイン。
ともに生きている、ひとりでは生きられない
菅 原 半年以上かけて法人の理念などを一緒につくってきた中で最後に辿りついたのが、「ひと・まち・あしたの創造」。
理事長と話をしていて思うのが、明日に悲観的にならないということ。明日はきっといい明日が待ってる。明日に希望を持って創っていく。
それは理事長と十数年いっしょに仕事をしながら大事にしていること。
「ひと・まち・あしたの創造」、この言葉にたどり着く過程のなかでおふたりの間でいろいろ意見などあったんですか?
鶴 岡 「ともに生きる」という答えにしかならなかった。スタッフの方、地域の方、ともに生きて、みんなで幸せになって、生活していって、それがどんどんまちとなって、コミュニティになっていく。これはともに生きている状態。
巡って巡ってひとりでは生きられないし、人と人とが結びついているとうのを菅原さんと仕事をする中で部分部分で見えてきたこと。ともに生きているという実感があった。お互いが支え合っている。
上とか下とかなくて、自分が、例えば秋祭りにどう関われるのか、どう還元できるのかとか、そういうことがともに生きるということにあるんじゃないかなと。
あやふやな中にも核心があるというか、確固たるものに向かっていくのではなくて、あやふやな状態にしておいて、ひとりひとりがそこにどう向かっていくのか、どのルートを辿っていくのか、それはその人の生き方や考え方。
そこで手を取り合ってやっていく、それがここならできるんじゃないかというものを感じた。
下 川 ともに生きるは手段にもなり得る。でもそれを内包した理念になっていると思う。
菅 原 理念をどう浸透させていくのかということもある。事業が増えていく中でどう整理していくのか。そういう思いから相談の窓口を作れないのかという考えがあった。
病気はあっても、病人にはしない
下 川 医療法人がどういうところなのかというときに行政というか役所っぽいとも思った。いろんなまちのくらしの相談を受けて解決していく。どこかしらインフラ的なのが似合うなっていうのがあって。
セクションがいろいろあるというか、それをまとめた相談窓口があるというのが筆頭にあるというか、その機能があるから菅原と言えるんじゃないかなと思った。
ひとの暮らしを支える手段。それが一つの時代もあったのかもしれないけど、多角化してきたときに病院というのは人の暮らしを支える一つの手段だったんだなって思ったんです。
じゃあその一個前にどこにつながるのか、介護かもしれない子どもの支援かもしれないどこにつながるかわからないけど、その手前に相談窓口があることこそこういうオープンな場にふさわしい。
菅 原 理事長の思いは根っこにあって。理事長が病院に帰ってくるときに大学の上司に相談したときに「おまえに誰も期待してないぞ」と言われた。
「ちゃんと適切な人につなげられるか」体現しているのは、例えば足が折れたって子供が来ても断らない、包帯まいて固定して整形外科に行きなさいってお金なんかもらわないし、「まち医者宣言」それが根っこにある。
「病気はあっても病人にはしない」そういう人間観とか価値観が根っこにある中でいろんな事業が生まれてきて、まちみたいなのができるんじゃないかってことにつながっていったんじゃないかと思う。
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