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  • 菅原知之の感じるままに

【編集後記】原口氏との対談会

「菅原知之の感じるままに」アシスタント前田が、原口氏との対談会を振り返る。


がんばっている人を応援するというのがライフテーマ原口氏との対談。

「誰かと」や「建物をつくる仕事を、つくる仕事」といったキーワードからは、「人」そして、人と直接関わるということに加え「人が活躍できる場」をつくることが原口氏の得意分野であると想像することができる。


「人の価値を最大化する」「都市の可能性」


「人の価値を最大化する」「都市の可能性」といった言葉から対話が展開されていく。


原口氏の「支援者が主体ではない」「支援する側の権威性」「支援する側の物語をつくりがち」といった投げかけからは菅原の実践にも重要な意味を持つ。



――― 菅原の語りから


支援者がではなく、「その人にとってそれがよかったのか」ということであるが、それを難しく、それをどの時点が測るかは難しい。


医療で言うと、主体と客体がいてどう関わって、どう変わるのか。一方で、相手に主体を戻したときに見方が大きく変わるということだ。


と、自身の現場に置き換えた。


治療は疾患という対象があり、それがどうなったかが指標であった。しかし、それを相手がどう感じているかは別だという視点を得ることができる。



――― 原口氏からは新たな指標が提示されていく


建物がよくても、その中で人がいなければ、その中でいいアクティビティがなければ。その都市を使って人が活性化していることが必要であると。


これまではその都市の価値を人口や土地の価格で測っている。駅近で築浅が高いということになり、そうすると建物をつくり続けていくしかない。


それを人は求めていたのかという問題が提起される。


コミュニティの健全度、コミュニティが大牟田市にどう関係しているのかということを測る。


どんなにいいケアをしても体調が悪かったら、今日は不満だったり、誰とも会いたくないというふうになる。


そのことで一喜一憂するのではなく、亡くなるまで一連のプロセスで、コミュニティの中で人生が良いものであったかを測るほうが健康に影響があるという見方。


能力を発揮するというのはその行為と友達になるということ。


絵を描くという行為と仲良くなる。好きな行為ならうまくなくてもいい。うまいから描くのではない。描くのが好きだから描く。


すべて比較、比較した数値の中で高くあれというメッセージ。


充足された数値への目標であればいいのに。数字は大きいほうがいいというふうになってしまっている。


でもそれは、総じて好きではないのでは?



――― 菅原は「好き」な仕事に対して人がするべき仕事を示唆


仕事の中に人が入りやすいように仕事の構造化をすることが必要。一方で、人が本当にすべき仕事とその人たちがしたい仕事というのがずれている。


でも、そこにいかないと人や財源が不足していく時代。


私たちがするべき仕事を考えないと。ずっと心や体を摩耗していく。その結果、よくない関わりになっていく。



――― 原口氏「仕事を創ることが最大の支援」


その人に役割をつくれる。ずっとそのことを続けていける。地域の支援の一番は、仕事を創ることだ。


幸せな椅子をつくる。座る側はもっとこういう椅子に座りたいって言っていかないと、椅子を作る側もつくれない。


その人とともに仕事を創り上げていくことができると魅力的なものになっていく。



役割やつながりの中で感じる、幸せをつくる

今回の対談は、仕事、社会、そして人の健康と役割へと議論が発展していった。


原口氏からは人の満足度や充足についての問題提起において、支援者の物語で関わりがちであるということや、それは支援者も幸せなのか、という疑問を投げかけられたような気がする。


そして価値観は経済ではなく、比較ではなく、役割やつながりやその中で感じることのできる満足感が大切だ。


菅原はそれを実現するために社会で何をやっていくべきか、と考え続けている。


人がするべき仕事とは何か、人がしたい仕事とは何か、人が満足する働き方とは何か。それを持続可能とする社会とはどういう状態か、考え続け、走り続けている。


原口氏から発せられた「その行為と友達になる」というメッセージ。


菅原が返した「そういう意味で友達少ないですね」からは菅原の強い使命感が窺えた。


菅原の使命感。使命感による活動が、真に「したいこと」「友達になれる行為」となったとき、また違った展開が見られるかもしれない。


今後の展開にさらに期待したい。



― 前田 佳宏

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